「星くず」400 号記念に寄せて・・・

「星くず」400 号を記念して、会員皆様にテーマ投稿をお願いしました。
その名も「星と私」。皆さんの星とのかかわりあいを軽く、あるいはじっくりと語ってもらおうという企画です。投稿数は少な目ですが皆さん個性的でした。

H.Sさん   

 初めて望遠鏡なるもので月を見たのが60 年前です。何の知識もない小学生でしたので、いきなり見た大きな月面に感動しました。この時に天文について教えていただいた先生が設立していた横浜の天文同好会に入会し、それから先生が亡くなるまでお世話になりました。
小学校6 年生になって「天文ガイド」の創刊号を購入して、星の観測などという世界も知りました。当時の望遠鏡は口径4、6 センチ程度の粗悪な(?)アクロマートが初心者用でした。架台もとても貧弱な経緯台でした。初めて望遠鏡を入手したのは高校1 年生の時で、カートン光学の6 センチ屈折経緯台を手に入れました。当時の安い経緯台は微動装置などがついていないため星を導入するのが難しかったです。それでも楽しかった思い出は残っています。
その後大学時代にバイト代でカートン光学の77mm屈折赤道儀を購入しました。
就職後は憧れだった高橋製作所のTS65mm(PS2 型赤道儀)を購入しました。
この機材を持ってハレー彗星、南十字、マゼラン星雲などを求めて何回も海外に出かけまた。
自宅を新築する際には、天体ドームとセレストロンC14,タカハシの128mmフローライト鏡などを購入して自宅で手軽に楽しむようになりました。
一方、仕事で海外に出ることが多く、いつも双眼鏡を持参しては星空を楽しんでいました。大都会でも砂漠でも空にはいつも星空がありました。
特に精神的に苦しい海外での仕事に行き詰まると、双眼鏡で星を見ながら「宇宙から見れば小さな問題」と気持ちを切り替える日々でした。
今は定年退職して自宅屋上や毎年訪問するハワイで星空を楽しんでいます。
あと何年続けられるのか分かりませんが、最期まで星空を楽しめたら幸せだと思っています。

にんじゃ400MMさん

 子供の頃は、なんでも興味ありなわけですが、敢えて絞ると、宇宙と恐竜あたりでしょうか?宇宙の興味のきっかけは「宇宙戦艦ヤマト」?と思いきや、ヤマトや松本零士作品に触れたのは比較的高学年で、もう少し前から宇宙には興味を持っていた気がします。百科事典や学校の図書室で惑星等の天体のイラストを観るのは好きでしたし、宇宙戦争の挿絵も鮮明に覚えています。それと、学研の付録の望遠鏡。厚紙を折った鏡筒で初めて月をのぞき込み、感動したこともよく覚えています。さらに低学年の頃、地区の肝試し大会や花火大会などで、めったに歩くことのない暗い夜道を上級生のお姉さんに手を引かれ、見上げた夜空がとても綺麗だったことなどでしょうか?色々とドキドキしました(笑)
実はこのあたりがルーツなのかもしれません。比較的田舎で夜空が暗かったこと、それと上級生のお姉さんが優しかったことが一番のきっかけなのかもしれませんね(笑)
星くず400 号おめでとうございます。子供の頃の淡い想いを手繰り、40 を過ぎてからこの趣味を始めましたが、背水の陣で望遠鏡を買ったおかげで…、いや星☆クラブ横浜のおかげで、現在も楽しく趣味を続けられております。これからもよろしくお願いします。

玄さん

 最初に天文に興味を持ったのは小学校低学年の頃でした。学研のひみつシリーズNo.1「宇宙のひみつ」を見てからでしょうか。実際に星空を見て星座を探すようになったのは小学校4 年の頃に10cmF10 の経緯台、ビクセンのオズマR-1000 を買ってもらってからだと思います。前後して10-30 倍30mm 地上望遠鏡、7x50mm 双眼鏡、三脚を買ってもらって色々観望していました。中学の頃は父のカメラ、Yasica electro-35 で固定撮影をちょこちょこやっていたりもしました。
高校になってからVixenSPR-100S(10cmF6 反赤)MD 付きを手に入れ、続いて一眼レフのOM-2S/Pで直焦点撮影ができるようになりました。学校の天文台(五藤の15cm)でハレー彗星を先生に見せて「なんぞぉ、こんなもんかぁ、つまらんのぉ」と名言をもらったりもしてます。
大学生時代は機動性重視で、ハレーマルチ70S とMD-2(ポタ赤)を自転車に乗せて撮影に行ったりもしました。就職してからは友達からSPR-150S フルセットを安く譲ってもらいましたが、以後しばらくは低調な時期が続きます。変化は2009 年に鹿児島に単身赴任してからで、以後デジタル化とともに機材増強に励んで今に繋がっています。現状の最強装備は2019 年に導入したAXJ と米オライオン30cmF4 でしょうか。そう、私の天文ライフは機材の増強とともにあるのです。きっとこれからも増殖していくに違いありません。いつまでも、いつまでも・・・

都都逸さん


 私は、毎年年賀状に下手な天体写真を載せている。しかし、最近他の趣味にウエイトを置きがちで、天文との接点が少なくなり写真の素材も無くなってきた。そんな中、昨年は「皆既月食と天王星食」というイベントがあり、久し振りにこの写真を年賀状の素材にすることにした。
今回は、単純に天体写真だけでなく、娘との共同作品とすることで、イラストを依頼して親子コラボの年賀状にすることに決めた。題材としては、私の撮影した月&天王星の写真に①干支のウサギ、②私の趣味のスキーがテーマ。そしてできたのがこの図柄。天文という趣味が親子の絆につながった・・・と思っているのは父親だけかな?

千年竜王さん

 玄さんのメールに100 号が添付されていたので読んでみました。自分の記事もあり、読んでいくと顔から火が出る思いでしたが、当時自分は熱く語っていたのですね。今回400 号記念に寄せて、星との関わりを書くより、少しばかり先を書いてみたいと思い文書にしました。
星や天文活動への考えや思いは、100 号の頃から変わっていないことに驚いていますが、自分自身への趣味から他人の興味へ影響を与える活動に変わってきていると思いました。
それは20 代前半頃より活動してきた「子ども会」や「星を見せる会」で培ってきた工夫と一緒に、関わってくれた周りの人との影響も大きかったからでしょう。
この時のことを系列に並べてみました。
■星空観望で子ども会の場所・時間を提供し、一緒に活動してくれた市の職員。
■ 有名な人形劇を見せて頂いた後に星空観望会にも参加してくれた劇団員。
■大きな望遠鏡を使わせくれた市の職員。一緒に操作を覚えた仲間。
■ 富士山や他の山へ、観測に一緒に行ったり/連れって行ってくれた友人。
■機材を色々とアドバイスしてくれた望遠鏡店員。
■ プラネタリウムの操作を教えてくれた師匠。
■望遠鏡工作教室の先生(地震予知で有名な)。
■天文台を作るスペースを提供してくれたNPO 仲間や天文台を作ってくれた大工さん。
■金環日食や皆既日食ツアーで知り合い、写真交換や今でも連絡をくれる仲間。
■天体観測に適切なアドバイスをしてくれた先人達。
■星空案内人の仲間達。
■ 趣味ばかりで、ついに親孝行も出来なかった両親や親戚。
■ 一緒に天文活動について来るけど、後で文句ばかり言う妻。
多くの方に支えてもらいながらも趣味を続けさせてくれた方に感謝し、星☆クラブ横浜に約30 年ぶりに復帰することで、新たに知り合えるメンバーに対し、少しでもお役に立てればと思っています。
次に、今後は星や天文を趣味からサイエンスとして取り組みたいと思っています。すでに星☆クラブ横浜には、取り組んで実績を上げている方もいます。自分もあやかりたいと思っています。
☆ 世界中の衛星データを活用する。
☆公共の天文台データを活用する。
そのためにもJAXA 宇宙教育リーダーの講習会に年に数回は出席し勉強し、今後も続けます。
過去の天文記録(古記録・古文書)を探り当てて、少しでも日の目を見させたい。今も古文書解読のための
「くずし字」を講座に出席しながら勉強も続けます。
天体の位置計算も理解し活用できるようにプログラム言語の勉強も続けます。
それと神奈川県内の望遠鏡が設置してある天文台のボランティアとしてバックアップしたい。現在公共施設の天文台や望遠鏡は、老朽化していると同時に使える人も少なくなっています。勿体ない話と思います。今後時間が自由に使えることが出来てくるので、このようなことにも自分の時間を振り分けたいと思っています。
そして500 号に向けては、サークル内の活動と併せて社会活動としても関わることが出来ればと思っています。


お友達にシェアしていただけると嬉しいです。